2018/07/20

さわやかに「ありがとう」を言おう。 の巻 その7

熊谷5
 では、前章最後のフラグ写真通り(←なんじゃそりゃ)、秩父鉄道へ。右手の皆様方は「わくわく鉄道フェスタ」でも見かけますが、れっきとした「秩父鉄道労働組合」さんの公認になっているそうです。

 ということはつまり……、

 いや、夢を壊すようなことは言わないでおきましょう(笑)。

熊谷6
 ということで、当然ながら羽生行きに乗っていきます。 

熊谷7
 この、高崎線を跨ぐところは個人的に昔からすごく好きです。どこでも後発の私鉄は国鉄の駅に乗り入れるのに、結構強引に入っていく傾向があるような気がして、地元だと東武佐野線の佐野への持っていき方(館林方面から)とかにそれを強く感じるのですが、ここもその一例のような気がしてなりません。

武州荒木
 武州荒木では5000系と交換。こうして見る限りではまだまだ元気そうなんですが、何せもう(登場から)45年以上経ってますからねえ…。

 まあ、一緒にするのはあれなんですけど、一応「同世代」なので、まだまだ頑張ってほしいという思いはあるのですが。

羽生1
 ともあれ、羽生に無事到着。
 
羽生2
 でも考えてみれば、こちらも秩鉄では最新とはいえ、元は東急の8090系なので、少なくとも30年以上は経っていることになるんですよね…。

羽生3
 東西の出入口をつなぐ自由通路。今まで意識していませんでしたが、羽生市は藍染で有名だったんですね。

羽生4
 しかも地元のキャラさんたちのご出演による製造工程の説明まで。

羽生5
 さすがは「ゆるキャラの聖地」だけのことはありますね(笑)。

羽生6
 ところで、現在の橋上駅舎になる前は東側にしか駅舎がなく、駅の南側に東西を結ぶ橋が架かっていましたが、これは昭和38(1963)年5月に完成した「りくはし」という歩行者専用橋で、地元企業である「金子農機」の創業者である金子専一氏が、橋の必要性を訴えていた妻のりくさんの遺志を継ぎ、建設費の全額を負担されたそうです。当初は「陸橋」の意味合いかと思っていたのですが、奥様のお名前からきているんですね。(つづく)
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2018/07/19

さわやかに「ありがとう」を言おう。 の巻 その6

 引き続き、熊谷より。

熊谷2
 ここで上りの特急「草津」の追い抜きがありまして、入線時を狙ってみたものの、見事なまでにブレブレ…。

熊谷3
 後は停車中の模様だけでご勘弁ください……。

 さて、1800系の追っかけで昼が若干ずれてしまい、さすがにヤバくなってきたのでここでいただくことに。

熊たまや1
 この日は暑かったのと、サラッと済ませたいのもあって、かなり久しぶりにこちらの「熊たまや」さんへ。熊谷うどんの専門店です。

熊たまや2
 こちらではまず、自分なりの七味を作る儀式(?)から始まります。

熊たまや3
 それほど辛いものが得意な方ではないので、唐辛子は少なめに。その分、若干疲れ気味なので「けしの実」多めで(笑)。

熊たまや4
 そしてメインの登場。朝は割にしっかりめだったので、あまりがっつりいかず、定番の一つである「肉ねぎつけ汁うどん」を。

熊たまや5
 細めのうどんですが、コシがしっかりしています。

熊たまや6
 つけ汁。「肉ねぎ」とはいうものの、きのこや茄子も入っていて確かな満足。

熊たまや7
 さらに、市内の吉岡地区で採れたという生卵がサービスで1個食べられます。これをつけ汁に入れてもなかなかの美味でした。

 埼玉県熊谷市桜木町1-202-1
 熊谷駅秩父鉄道改札前
 営業時間:10:30~20:00
 年中無休

熊谷4
 では、若干早くはありますが、暑い中それなりに動き回って疲れたので戻っていくことに。(つづく)
2018/07/18

さわやかに「ありがとう」を言おう。 の巻 その5

 引き続き、伊勢崎の両毛線ホームより。

伊勢崎11
 東武側を見てみると、群馬県立伊勢崎高校の吹奏楽部のみなさんがスタンバってらっしゃいました。

伊勢崎12
 さらに、背後の10000系がギャラリーのようにもなっているようでした。

伊勢崎13
 確実に来るのはわかったのでそれだけでも十分だと思い、来た高崎行きに乗ります。

 正直、ちょっと物々しすぎる気もしましたし……。

高崎1
 で、その高崎(たかさき)

高崎2
 今回も「高崎オーパ」でお買い物。

高崎3
 ただ、何も腹に入れずにそのまま先へ行くことにしました。

高崎4
 SL宣伝モード全開のホームですが、階段にまでSL関連のトリビアがズラッと。

高崎5
 まさに「へぇ~」なネタぞろい。無駄にしませんね(笑)。

高崎6
 てなわけで、上野東京ラインに乗りまして、

熊谷1
 熊谷(くまがや)で降りました。(つづく)
2018/07/17

さわやかに「ありがとう」を言おう。 の巻 その4

伊勢崎1
 てなわけで、その伊勢崎(いせさき)

伊勢崎2
 やはり1800系は赤城の方に向かったようですが、

伊勢崎3
 こちらも何気なく「さよならモード」になっていたりするのが気になりました。

伊勢崎4
 確かに「りょうもう」には1往復伊勢崎発着がありますが、それが出来たのは1800系が定期運用から外れた後(平成13(2001)年3月)のことなので、左手下に地上時代のここに停まっている1800系がありますが、おそらく団臨か何かではないかと思われます。

伊勢崎5
 とはいえ、私の疑問をよそに、「それらしき準備」が着々と進められていたのでありました(苦笑)。

伊勢崎6
 おそらく赤城まで行った後に太田へ戻って、今度はこちらに来るのでしょう。

伊勢崎7
 そうでなければ、

伊勢崎8
 正直ここまでする意味はないはずですからねえ…。

伊勢崎9
 そこまで待ってもいられないので、両毛線へ乗り換えていきます。 

伊勢崎10
 この時点でも何時に到着するのかは、まあ、関係者の皆様はご存知なんでしょうけど(苦笑)、何となく聞きづらいしなあ…。(つづく)
2018/07/16

さわやかに「ありがとう」を言おう。 の巻 その3

 引き続き、太田より。

太田6
 韮川方の端へ。

太田7
 1800系は、急行運用離脱後に300系や350系になったり、佐野線や小泉線での運用のために改造されましたが、この1819編成は唯一原型をほぼとどめたものとして残されていました。そもそもヘッドライトや運転室上の補助灯は丸型だったのですが、マイナーチェンジ車となった同編成は角型となり、さらに側面に行先表示器と、正面の愛称表示器が電動式となりました。

太田8
 その間に、現行の200系による下りの「りょうもう」が到着。デビューはまだ急行だった頃(平成3(1991)年)ですが、その8年後に完全新造である250系の就役を受けて、特急に昇格しました。

太田9
 こちらはその前年に運用から外れたので、優等運用としては急行のままで終えたことになります。
 
太田10
 定期運用としては私が20代の頃まで就いていたことになるので、それなりの思い入れはありますが、個人的には4両編成時代や、丸型ライトの編成がどうしても印象や記憶に残っています。

 また、Wiki(pedia)にも書かれていますが、当時の帯は、白というよりは黄みがかったクリーム色という印象が強く、正直、この編成はきれいすぎな気もします…。

 まあ、その辺はあくまで個人の意見ですが。

太田11
 他にもいろいろとあるのですが、あえて申さずに、最後の走りを見送っていくことにします。

太田12
 前にも書きましたが、定期運用から外れて大分経っているので、この日がラストと言われても「ああそうだったのか」という感じでもありましたが、いざこの場に居合わせてみますと、何とも言えない気持ちになります。

太田13
 長い間、お疲れさまでした。そして、本当に、お世話様でした…。

太田14
 では、先へ。伊勢崎へと向かうことにします。(つづく)